9月も後半。秋の訪れを感じつつ、この世の旅路を歩きます。


召天者記念礼拝(横浜・洋光台教会)の一日。2011年9月25日(日)

教会礼拝にて。マド・松本。

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いつも、定点観測のように花野井教会の生花の前で写真を撮っていますが、今回は洋光台教会(横浜)の礼拝にて、生花の前の私。洋光台教会は数年前に建て直しをしたばかりなので、広くて綺麗で、ちょっと羨ましい感じです。でも、建て直しする前の洋光台教会の会堂も家庭的で、暖かくて良かったです。2003年だったか?2004年だったか? 私は息子の下宿先の自宅で年越しをして(つまり年末に押しかけて泊まり込み)息子と一緒に洋光台教会の「元旦礼拝」に出席した思い出があります。忘れられない楽しい思い出です。洋光台に初めて出席する私を、息子君はちゃんとエスコートしてくれたっけ…。そう、その時、息子は横浜の大学に通っていて、洋光台キリスト教会の教会員でした。洋光台キリスト教会には、亡くなるまで、在籍していましたので、現在でも「召天者記念礼拝」では、私は召された教会員の遺族として、毎年「召天者記念礼拝へのご案内」があり、いつも感謝して出席しています。

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講壇の中央に大きな十字架とバプテストリー。洋光台の会堂は天井が高く、音響効果も良いです。この日、青年女子のハンドベル演奏がありましたが、一番最初の演奏が、私の大好きな讃美歌「み恵み豊けき」だったので、涙腺ウルウル…涙が溢れて止まらない私でした。

「洋光台キリスト教会」に寄せる思い。

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念願の一人暮らし…。親元を離れても教会生活をした息子。

横浜の2DKのアパートで、念願の一人暮らしをして大学生活をしていた息子。親元を離れて「晴れて自由な気ままな生活」だったので、母親の私は内心「教会生活するのかな? 近くに教会はあるのかな?」とヒヤヒヤ・ヤキモキしていたのですが、電車とバスを乗り継いで、ちゃんと洋光台教会に通っている様子に、神様の恵み、洋光台教会の方々の優しさを痛感。いつも感謝していました。イエス様は、息子とつないだ手を離さずに最後まで教会に導いて下さいました。

蛭川牧師によるメッセージ「もう泣かなくとも良い」から学ぶ。

この日の説教は、召天者記念礼拝と言うこともあって、ルカ書7章11節~17節。1人息子を亡くした母親にイエス様が起こした奇跡についてのお話でした。

たった一人の息子を亡くした女性は、悲しみの中、周囲の人に支えられるようにして葬列を歩いていました。きっと、涙があとからあとから溢れ、人生にも絶望していたと思います。その女性に、イエス様は語りかけます。「泣くのはやめなさい」 ちょっとビックリする言葉です。息子を亡くした母親に「泣くな」と、誰が言えるでしょうか。誰にも言えません。慰めの言葉さえないでしょう。でも、イエス様は「もう泣かなくても良い」と言いました。神の子であるイエス様だけが「もう泣かなくても良い。あなたの涙を拭い去ってあげよう」と言えるのです。…この蛭川先生のメッセージの中から、息子のいない5年半の歳月を思いました。息子には息子の「イエス様との旅路」があり、私には私の「イエス様との旅路」がある。その旅路は、皆それぞれに距離も時間も道程も違うけれど、準備された「神様のご計画」の旅路を皆、主の手にすがって歩いているのですね。(私もすがって歩いています)

記念礼拝の後はお昼ご飯いただきました。

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礼拝堂の真下にフェローシップホールがあり、食事が出来るようになっています(羨ましい~)で、こんなふうにご招待席が準備されていました(感激)

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ちゃんと「お食事券」「コーヒー券」いただきます。このシステム、良いなぁ…花野井教会でもやってみようかなぁ?

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きのこたっぷりの炊き込みご飯。美味しかったです。



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3連休を「さりげなく」「私らしく」過ごします。2011年9月11日(日)

教会礼拝にて。マド・松本。

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読者の皆さん、こんばんわ。 3連休の真ん中の日曜日…皆さん、旅行や用事があったのか? 礼拝では欠席がチラホラ目立ちましたが、本日は、教会でCHIKOさんから見せて頂いた「信徒の友」(雑誌)の「福島第一聖書バプテスト教会」の記事について感慨深く思ったことを少し書いてみたいと思います。

「流浪の教会」となった福島第一聖書バプテスト教会。

原発から5㎞の場所に福島第一聖書バプテスト教会はあります。(ありました?) 3.11 の東日本大震災によって、避難を余儀なくされた教会です。現在、福島第一聖書バプテスト教会の方々は、東京・奥多摩町「奥多摩福音の家」で、牧師、信者共に避難生活をしています。 しかし、この避難生活は、初めから苦難の連続だったそうです。大震災の後、福島から米沢へ、そして東京・奥多摩へ…まるで荒野を彷徨ったモーセのように、教会は流浪したのです。

私のblogのテーマは「この世の旅路」です。この世の旅路を、簡単に「ああ、人生のことね」と考えないでほしい私です。私は「この世の寄留者であり」「彷徨う旅人」なのです。

福島第一聖書バプテスト教会の佐藤牧師は記事の中で「それでも教会は生きている」と、力強く「希望」を語っていました。確かに、福島第一聖書バプテスト教会は、大震災によってまだ戻ることが出来ない教会ですが、その中にあって、洗礼式が2回行われている、と言う事実に、私は驚嘆します。言い換えれば「神の御業」に畏怖の念を持って感動し、御業を顕わにした福島第一聖書バプテスト教会の働きを素直に讃えます。

佐藤牧師は震災に遭ったことも「神から選ばれた時」と位置づけ、流浪の教会になった現在も「寄留者として旅に生きる」希望と感謝の中で信仰生活を送られています。 その「寄留者として旅に生きる」と言う考え方が、私の考える「この世の旅路」と共通している部分が多いので、今回はそのことを書いてみます。

誰にも認めてもらえなくても良いンです。

私が、最愛の一人息子を天国に送り出したのは、6年ほど前のことでした。悲しかったです。言葉では言い表せないくらい…。ずいぶんと長い間を泣いて過ごし、絶望の淵も彷徨いました。そして、やがて私は気づいたのです「私は、この世を彷徨う旅人なんだ」と。この世の寄留者の私は、主の御手にすがって歩く脆弱な旅人なんだなァ、と。 さて、そこで、一つの問題が生じます。 「では、いったい私は何処に向かって、私は何処に到達するのだろう?」この答えのヒントは聖書にあります。

約束の地に入れなかったモーセ

聖書の出エジプト記によれば、モーセは40年間、民を率いて荒野を彷徨いますが、モーセ自身は約束の地に入ることは出来ませんでした。私は、このことから「神のされることは人知では測り知れないし、恵みも測り知れない」と思います。なぜなら、約束の地が最後の到達点ではないと思うからです。であるならば「到達する場所」に拘ったり詮索したりせず、ただひたすら前を向いて歩いて行くことが大切なように思います。そして「人に認めてもらうこと」「人の賞賛」には捕らわれず、むしろ自由に、主に喜んでいただける働きが「この世の旅路」で一つでも出来ればいいなぁ~と思います。

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午後はいつものように、礼拝で飾った生花をいただいて、教会墓地に行って来ました。

蝉しぐれよりも秋の虫の音が良く聞こえる夕暮れ前。フッと、私が口づさんだ讃美歌は「善き力にわれ囲まれ」新生讃美歌73番 でした。

「われらの闇の中に 望みを主の手にゆだね  来たるべき朝を待とう
 
 善き力に守られつつ 来たるべき時を待とう  夜も朝もいつも神は われらと共にいます」
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kana

み恵みゆたけき。。。は私も好きな賛美歌です。

by kana (2011-09-29 20:45) 

マドモワゼル・松本

Kanaさん。

どんな時でも、一人で歩いていない私。
イエス様の大きな手にすがって、すがって、生きています。


by マドモワゼル・松本 (2011-10-05 22:07) 

kana

マドさま
ワタクシも同じです。
御手にすがって生かされております。
by kana (2011-10-09 19:36) 

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